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幼い頃に文通をしてた城海のお話

 

 

『オレがケッコンできるようになったら、かならずむかえに行くから。約束だぜ!』
『分かった、待っている。…絶対に守れ』


カーテンの隙間から漏れる朝日が、寝台の上で眠る俺の顔を鈍く照らしているのに気づく頃には、自分が今まで見ていたのは幻だったのだと夢見心地な頭でも理解していた。
微かに明るい目の前には、先程まで見ていた紙もペンもなく、ただ見慣れた天井が広がっていた。
――随分と、懐かしい夢を見た
幼い頃の淡くも優しい記憶の破片をこうして夢として見るのは、初めてだった。
養父に帝王学を学ばされ、唯一愛した弟とも切り離された、あの頃の俺のたった一つの希望。

 

(笑える話だ。まだ、あの約束を信じている俺がいるというのか)

 

自嘲気味に笑いながらゆっくりと体を寝台から降ろし、顔を洗おうとバスルームの方へと向かう。
パタパタとスリッパの音を響かせながら廊下を進み、洗面台のあるバスルームの扉を開ける。ガチャリと扉を開くと、目の前にまさに起き抜けという顔をした白いパジャマを着た男がポツンと立っていた。もちろん、誰かが本当に立っている訳ではない。壁一面に貼られた鏡に、俺が映っているだけだ。
数歩前に進み、洗面台の蛇口をひねり水を出す。冷たくも熱くもない温度に調節された水で顔を洗えば、完全に覚醒しきった青い目が鏡に映っていた。

 

(アイツは、この俺を見てもまだ約束を守ると言うだろうか)

 

あの頃は紙面でしかお互いに会話が出来なかった為に、一度も顔を見ることが出来なかった。もしまた、アイツに出会うことができてもこの姿では、あの頃のように優しく俺に語りかけてはくれないかも知れない。
…全く、アイツのことになると鳥肌が立つ程に女々しくなる。自分の事ながら気持ちが悪い。
しおらしい考えを消し、急いで顔を洗い、歯を磨き終わり、身支度を整えようと自室に戻る。
自室には机とベットにクローゼットと、少しのインテリアがあるだけで、無駄に広い部屋がさらに殺風景だと、モクバに一度笑われた。
部屋の隅の方に置いたクローゼットに近づき、久しく着ていなかった青色の学生服を取り出した。殆ど着る機会などないと言うのに、常に最良の姿でハンガーに掛けられた学生服は、テラテラと光沢を放っているようにも見えた。
学生服に袖を通していると、ふとベットの横に付けられた小さな引き出しが目に入った。引き出しには鍵が付けられていて、俺にしか開けられないようになっている。
学生服の上下を着終えた俺が引き出しに近くと、俺が陰になって当たっていなかった窓からの日差しが引き出しを照らした。

 

「………」

 

一度だけなら、と思い、机の中から少し特殊な加工を施している鍵を取り出す。それを鍵穴に差し込み、左右に一回ずつ鍵を回す。
ゆっくりと鍵を引き抜くと、カチリと音がして、引き出しが開いたのがわかる。

 

「………」

 

取っ手に手を掛け、スッと引き出すと中にやや黄ばんだ紙が折り畳まれていた。
破かぬように慎重に紙を開いていくと、お世辞にも綺麗とは言い難いような、如何にも子供が書いたと思われる字と、さらに子供が書くようないじらしい内容の話が連なっていた。
『オレがケッコンできるようになったら、かならずむかえに行くから。約束だぜ!』
――ケッコン、か

 

「フフ…」

 

内容の可愛らしさと字面の汚さに、思わず笑いがこみ上げてくる。
物を知らぬ無邪気な子供の、愛らしい「約束」。今思うと、アイツはかなりの阿呆だったなと改めて感じる。いくら顔も名前も分からぬ相手だからと言って、文面はいつも男が書いたものだと気付く物を書いていたのだ。それなのに「ケッコン」とは――

 

「………俺もお前も、阿呆だったな」

 

この手紙の返事は、これを貰った後にすぐに書いた。『約束は守れ』と、そう返した。
俺も相手が男なのは分かっていたし、恐らくアイツも俺が男なのは分かっていたはずだ。それなのに、アイツは俺との「ケッコン」を望んだし、俺もその望みを叶えたかったのだ。

 

「愚かな子供だ。実らぬと分かっている恋をしていた」

 

そうだ、俺もアイツも、「恋」をしていたのだ。顔も名前も知らぬ男に。嗚呼、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

「…そして俺は、まだその阿呆に熱を感じているのか」

 

手元にある手紙は、よく見れば水滴が溢れた跡があるし、強く握り締めたらしい跡も残っている。

 

「…「初恋は実らない」とはよく言ったものだ」

 

黄ばんだ手紙を破らぬように握りしめ、青の学生服と俯いた横顔を朝日に照らされながら、そう呟いた。

―――――

目覚めて一番最初に気が付いたのは、眉をしかめるほどのアルコールの匂いだった。またあの男が呑んだくれていたのかと、眠い頭を起こしながら考える。
畳に引いていた敷布団の周りには、カップ酒の空だとかお菓子の袋が散乱していて、足の踏み場もないくらいだ。

 

「はあ…」

 

いつになったら、爽やかな朝を迎えられるんだらう。
ガキの頃からの習慣みたいなものだけど、やっぱり毎朝この光景を見ていれば参ってしまう。
とりあえず片付けようと、手当たり次第にゴミを近くにあったスーパーの袋に投げ入れる。
分別なんか気にしないでゴミを集めていけば、焼酎の空き瓶が転がっていた机の上に、場違いのように綺麗な白色の紙が置いてあるのが見えた。
慌てて紙を拾って破れてないか確認したけど、特に傷も汚れもないようで安心した。
ホッと息をつきながら、紙面に書かれたかわいらしい丸っこい字を指でなぞる。
いつになっても、愛おしい字だ。

 

「…いつんなったら、お前に会えるんだろうな」

 

たまたまアイツと出会い、気紛れで始めた文通だった。
文章以外で会話をしたことはないし、手紙を渡すときも窓越しにしか会えなかったけど、確かに俺はアイツにだんだん惹かれていった。

 

「今でも、好きなんだけどなあ」

 

静香と離されて、気性の荒い父親と二人きりでの生活の中で、俺はこの文通だけが心の支えだった。
最初はツンケンしてて嫌味な感じだったけど、紙の上だけで話していく内に、コイツはすごくかっこよくて、キレイな奴なんだと思うようになった。見た目ではなくて、生き方そのものが。

 

「あー…早く、おめえに会いてえよ」

 

まだまだ甘ちゃんな考えしか持っていなかった俺だけど、最後の一通に書いた、「ケッコン」の誓いは、本気でずっと守り通すつもりなんだぜ。
あの日の約束を、俺はいつまでも覚えているからな。早く、お前に会いたいよ。
ゴミに埋もれた部屋の中で、俺は世界で一番愛おしい字にキスをした。

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