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おっさんモブがかわいそうな話

 

ブチっと、切れてはいけないものが切れる音がした。
「貴様…もう一度言ってみろ…?」
低く唸り、体全身からぞわりと恐怖感を感じるほどの威圧感を放つ瀬人様の横で、常に美しく光る青い目が怒りに染め上がる瞬間を、見てしまった。
「も、申し訳ありません…!」
冷や汗をダラダラと流しながら頭を下げる彼に、瀬人様はデスクから愛用している大きなジュラルミンケースを取り出しながら口を開く。
「この中には、俺にとっても、貴様にとっても重要なものが入っている」
「…?」
唐突に語り出した瀬人様に、びくびくと返答を待っていた彼が首を傾げた。
「と、申しますと…?」
話の趣旨が分からず、思わず問いかける彼にガチャリとケースの鍵を開けながら、瀬人様は心情を測れずにいる青い目で見やった。
「つまり…こういうことだ」
カチッと音がしたと思えば、それをかき消すほどの発砲音が聞こえ、彼の右頬に赤い筋が走っていた。後ろの壁を見れば、一部分が凹み黒い鉛がはまり込んでいるのが見えた。これが終わったら壁を修繕しなくては、と心の中で息を吐く。
「…???」
聞きなれない衝撃音と、焦げた火薬の臭いに彼が目を白黒させながら己の鈍い痛みを訴える右頬を見れば、たらりと赤い液体が流れ出し下へとこぼれ落ちているのが見えたらしい。
「ひっ…あ、あ…あ…」
すっかり腰が抜けてしまったのか、尻餅をついてガクガクと震える彼は、その怯えた瞳を瀬人様に向けた。
右手に拳銃を持ち冷たい目で彼を見下す様は、とても私や彼よりも10歳以上年下だとは思えない。
拳銃を持ったままゆっくりと彼に近づく瀬人様は、彼からしたら死神か悪魔か、それ以上の脅威に見えるだろう。
ガチャっとまた引き金に手を掛け、彼の眉間に照準を合わせ始めた瀬人様に、彼が目を見開き声にならない声を漏らす。
「ヒィッ!あっあっ、スイマセンッ!許してッ」
無様にも目の前の年下の上司に許しをこいながら泣き叫ぶ憐れな彼に、運が悪かったな、と少しばかり同情する。
「…なら鳴け」
「へっ?」
「聞こえなかったか?鳴け、と言ったのだ」
拳銃を構えながらそういう瀬人様に、パニックを起こしている彼はただ震えることしかできない。その様子にさらに怒りが増した瀬人様が早口に捲し立てる。
「いいか?三回回ってワンと鳴け。ただの畜生ではないと証明してみせろ。ただし四つん這いでだ、貴様に二足歩行など高度な真似は出来ぬだろうからな。どうした、早くしろ」
淡々と彼にそう言いながら急かし、さらに拳銃を彼の眉間へと近づける。だが彼はこんな時にまで羞恥心やプライドが勝ってしまったようで、言う通りに動こうとはしなかった。
拳銃を彼の眉間に押し付けながら、瀬人様はチッと舌打ちした。
「羞恥心?プライド?貴様がそんなものを持ち合わせているとは片腹痛いな。貴様なぞ床に這いつくばり犬畜生のように足でも舐めていろ。ただし俺ではなく、そこら辺の負け犬どものな」
「ッヒィ!」
「まだ分からないのか?貴様に人間様の言葉など贅沢だと言っているのだ。畜生のようにワンと鳴き、首に紐でもくくりつけていろ」
冷たい声であくまで冷静にそう言い切った瀬人様は、ゆっくりと引き金を引き始めた。
「っわ、ワン!ワンッ!!」
恐怖心に負け威厳も世間体も忘れ、犬の鳴き真似をしながら四つん這いでぐるぐると回り始めた彼は、ただただ無心で命乞いをしているようだった。
「ワンッ!ワンワン!」
「………」
もしここでこの状況を知らぬ誰かしらが部屋に入って来たら、あまりのカオスさに困惑し倒れてしまうかもしれないな、と必死な顔でワンワンと鳴きながら回り続ける、三十路は過ぎているであろう彼と、それをただ黙って見下しながら銃を突きつける、つい先日誕生日を迎えられて18歳となった瀬人様を交互に見やりながら考える。
「ワンっ…わん…!」
「……はぁ」
何も言わず彼の憐れな姿を見ていた瀬人様が、ひとつ溜息をつきながら手にしていた銃もデスクに置かれた。
「興が冷めた。さっさと出ていけ」
つまらなさそうにそう呟くや瀬人様は椅子に座り業務を再開なされた。その様子に彼はぽかんと口を開けながら硬直していた。
「磯野」
名前を呼ばれ瀬人様の方を見れば、私の方を見ながら「アイツを追い出せ」と目で伝えてこられた。瀬人様の意を汲み頭を一つ下げ、魂が抜けたようにぼんやりと宙を見つめる彼を引き摺りながら部屋の外へと追いやる。
「多少の暇つぶしにはなったな」
そう言いながらニヤリと笑う瀬人様に、私はただ背筋を震わせることしか出来なかった。

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