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違うところ。いつもより大人びた雰囲気。ボクやモクバくんに対して敬語を使うところ。
同じところ。冴え冴えと輝く青い眼。肝心なときにはいつも氷のように冷静なところ。

信じられないことだけど、海馬くんには今三千年前の神官の魂が宿っている。

***

海馬くんが事故にあって昏睡状態に陥ったと聞き、ボクは物凄くショックを受けた。何もかも放り出して慌てて彼の屋敷に向かい、ボクなんかよりずっとショックを受けていたモクバくんと不安で眠れぬ一夜を過ごした。
その次の朝も、次の次の朝も海馬くんは目覚めなかった。
ボクは家に帰り、モクバくんは海馬くんの代理で仕事をし始めた。まるで海馬くんがマインドクラッシュを受けた半年間のようだった。ただ戻ってきてくれる保証などどこにもない分、闇の深さは今回のほうが上だったと思う。
そうして一ヶ月が経ち、モクバくんから海馬くんが目を覚ましたという連絡があった。
遊戯だけ来て欲しい、絶対内密にしてほしいという言葉とともに。

***

目覚めたのは海馬くんであって海馬くんではなかった。
モクバくんは長い廊下を歩きながらそう説明してくれた。
モクバくんのことも海馬コーポレーションのことも分らない。それだけなら記憶喪失を疑うけど、海馬くんは「ここはどこだ。ファラオはいずこに」と言ったそうだ。
「ファラオっていうと…その、『もう一人の遊戯』のこともあるから、遊戯なら何か分るかもしれないと思ったんだぜい」
モクバくんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「うん、もしボクが役に立てたら嬉しいよ。もう一人のボクがいたら良かったんだけどね…」
そうは言ってももう一人のボクは冥界の扉の向こうだ。…まだ思い出すと胸がすこし痛い。モクバくんもそれを分って気をつかってくれているのだろう。
そうこうしている間にボクたちは海馬くんの私室の前に来ていた。
「じゃあ、開けるぜい」
幾分緊張した様子で、モクバくんが扉を開けた。

***

扉の先にいたのは、天蓋付きのベッドの端にぼんやりと座る海馬くんだった。
こんな彼の姿は見たことがない。やはり本当に海馬くんではないのか。
「えーと、セトさん。こいつが遊戯だぜい」
ボクがどうしていいのか分らずに固まっていると、モクバくんが海馬くんに声をかけた。
その声に、宙を見ていた青い眼がボクを見つけて、
「…ファラオ…!」
勢いよく燃え上がった。そして海馬くんはあっという間にベッドから立ち上がりボクに近づくと、静かに跪いた。
「えええ?!ちょっと、何してるの海馬くん!」
「…まさか現世にて再びファラオと相見えようとは…ええ、分りますとも。肌の色眼の色が違おうとも、私がファラオを見間違えるはずはございません」
「いやいやちょっと待ってください見間違いです!ボクは武藤遊戯っていって、ああでもボクの中にファラオがいたこともあるんですけど…」
「…ああ、あとは若干お小さくなられましたか?」
「それはあんまりだよ!ボクだってあれからちょっとは身長が伸びてきて…!」

「あ、あー。遊戯。セトさん。とにかく落ち着こうぜい。今お茶を運ばせるからさ」
加熱していくボク達を見かねて、モクバくんがタイムを申請してくれた。本当に良くできた子だ。

***

「ユーギ様は三千年後の現世でのファラオの器、というわけですね」
アンティークの椅子に腰掛けて紅茶を飲む姿がとてもサマになっている海馬くんは、やはり海馬くんではなかった。
もう一人のボク、アテムと同じ古代エジプトを生きた神官さん。ボクがアテムの記憶の世界で見たセトさんに間違いないらしい。
そしてボクの説明もした。少し前までボクの中に古代エジプトのファラオが宿っていたこと。記憶の世界で見たこと。闘いの儀のこと。
「しかしこの器の名もセトとは。面白い偶然もあったものです」
海馬くんの説明はちょっと難しかった。アテムのライバルで、時々危なっかしいことをするけど決闘に真摯な人。もしかしたら一番アテムに近い人。
ようやく状況の整理がついたとばかりに、セトさんは落ち着き払った様子だ。まあ、元々ボク達の方が落ち着いてなかったけど。
「それで、いつ兄サマは帰ってくるんだ?セトさん分る?」
冷静に見えてもやっぱり不安が隠しきれないモクバくんに、セトさんは薄く微笑んだ。
「恐らくもうすぐだと。私も冥界より呼ばれる感覚がありますので」
「冥界…」
アテムのいるところだ。ボクたちが永遠に別たれた扉、その向こう。ボクは思わず眼を伏せた。
海馬くんの、セトさんの青い眼がボクをじっと見つめていたことに気づかずに。
「そうですね…少し時間もあることです。昔話を聞いていただけますか?」

***

ファラオがーそう、ファラオが私を見る眼には恋情が宿っておりました。ええ、私の思い過ごしと言われればそれまでですが。
私は現人神であらせられるファラオにそのような眼を向けさせた事実に震え、同時に優越も感じていました。あのうつくしく雄雄しいファラオが一神官に過ぎない私に恋をしていると。
ファラオが私に想いを告げないことが不思議でした。望めば手に入らぬものなどない身分だというのに。私は事実ファラオが望みさえすれば受け入れようとしていました。私のほうもファラオに恋をしているように思ったのです。ファラオは私にとって絶対唯一でしたから。

時が流れ、私たちは闘った。そういう宿命でした。私はファラオと敵対し、必ず倒すと誓いすら立てた。しかし友であったことに代わりはない。ペレト・ケルトウに記したことに嘘偽りはありません。

だが、私はファラオに恋したことはない。瞬きほどの間さえそんなことはなかった。私は白き龍を宿す女に出会って初めてそうと気づきました。何故ファラオが私に想いを告げなかったか。それは私の眼が恋を知らなかったから、ファラオに向けた感情がただただ畏敬と友情に過ぎなかったから。

私は…何も伝えなかった。ファラオの想いに気づいていたこと、ファラオへの想いを誤ってとらえていたこと、そして真に想う女のこと。
それがファラオを傷つけてしまうとしても、言えばよかったのかもしれない。三千年の眠りの中でそう思っていました。

ですが良かった。ファラオは新たに歩みだしていたのですね。
この器の主がファラオへと向けた憎悪も復讐心も、たった一欠片の恋心も…私には手に取るように分る。何しろ同じ身体にいるのですから。
この者の記憶にあるファラオも、私に向けたような淡いひとときの情ではない、魂を揺さぶる嵐の如き激しさ…そんな眼をしている。
この二人がーほんの短い間でもー同じ情を共有していたことが私には何より喜ばしい。

***

「時間です。私は冥界へと帰りましょう、ファラオがそうしたように」
呆然とするボク達になど構わず、セトさんはまるで何もなかったようにー実際彼には何もなかったのと同様だったのだろうー旅立って行った。ボクの半身がそうしたように、しかし憂いひとつなく。

海馬くんはそれから暫くして意識を取り戻した。セトさんのことは何も知らないようだったし、ボクたちも何も言わなかった。ただ、モクバくんによると時々遠くを見るようになったそうだ。
彼が深い眠りの中でどこに行っていたのかボクには分かる気がしたけど、やっぱり何も言わなかった。


いつか。もしセトさんが言っていたように二人が互いに恋をしていたなら、冥界でも現世でも、いつかずっと一緒にいられるといい。そんな風に思う。

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